返歌

大切な貴方の文章を読ませてもらった。恋と愛について、好きと愛してるについて。最近私が考えていたことでもあったから、ちょっとドキッとした。貴方にはそういうところがある。人が考えてることを読み取るっていうか、感じ取る力。だから疲れちゃうんだろうな。私も貴方ほどじゃないけど似たようなところがあるから。分かるっていうのは烏滸がましいけど理解はできる。

 

私が思ってる好きは、

「この人と幸せになりたい」

私が思ってる愛してるは、

「この人とだったら不幸でもいい」

だと思ってた。

 

幸せ!って一時の感情だ。恒久的なものでは無い(あくまで私のイメージだ)。でも何故だろうか。不幸って永遠に続くように思える。そのことに安心する。幸せはいつか終わる。でも不幸はずっと続く。

 

では、ずっと続いて欲しいから不幸がいいのか?だから愛していると思うのか?それも合ってるようで違う。

 

私は大切な貴方を

「幸せにしたい」

と思う。

 

傲慢だ。自分で自分を幸せにできない人間が、人を幸せにしたいだなんて。でも幸せが一時のものであるならば、瞬間的なものであるならば、私にだって出来そうな気がしてくる。

一緒に美味しいものを食べた時。一緒に映画を見て良い作品に出会えた時。一緒に手を繋いで寝ている時。

「あぁ。幸せだな。」

貴方が一瞬でもそう思ってくれるなら、私は貴方を幸せにできているのではないか?(言えば言うほど傲慢だ。)

 

それならば愛してるは、

「この人を幸せにしたい」だ。

たとえいつか私が居なくなっても、いつか私と居なくなっても、貴方が私といる時に幸せを一瞬でも感じてくれたら。

 

 

私は貴方を愛することが出来たんだ。

 

こんなことを言ったらまた怒られてしまいそうだ。でもね、死にたいとか消えたいとかそういう感情って必ずしも負では無いよ。

「月が綺麗ですね」の返しは

「死んでもいいわ」です(諸説あり)。

そう考えると絶望的なものではない気がしてきませんか。私はこの感情を持ってることを悪いことだとは思わない。むしろそう思うくらい一生懸命生きてるんだ。

 

なんて、お酒を飲んでる今だから言えるのかもしれないね。ありがとう。

私は今

死んでもいい

そう思っています。

 

夢の話

夢を見た。夢の中で私は眠くて眠くて仕方がなかった。これまでの人生で感じたことの無い眠気であった。夢の中の景色には常に濃い霧がかかっていて、そこで出会う人々の顔は誰も彼もが霞んでいた。眠気と濃霧のせいで誰と話しているのかも分からず、私はただただ苛ついている。足取りも覚束無い。病み上がりに布団から出て歩いている時のような、どこまでも続く砂丘で足を取られて上手く前に進めないような。そんな感覚がずっと続いていた。見慣れた景色と異郷の景色が入り混ざり、私は混乱していた。目指す場所に辿り着くことが出来ないのだ。そして自分が何処に行きたいのかも、今の私には分からないのだ。その場所では誰かが待っていて、私に早く来いと電話で急かし続ける。その着信音が鳴る度に、私は尽く道を間違え、電車に乗り遅れ、一向にその場所に近づく事ができない。とても近い場所のはずなのに、その時の私にはその道のりは複雑すぎた。途中で知り合いに会っても、全く頓珍漢な方向に連れて行かれて余計に苛立ちが募る。景色はどこまでも灰色である。その間もずっと眠気が、ただただ重い眠気が、梅雨の湿気で顔に張り付く髪のように、私を離してはくれぬのであった。

 

何度も目が覚めたような気がするし、長い間眠り続けていたような気もする。何せ夢の中でも眠いので、現実と夢の区別がつかなかったのだ。その感覚はまるで熱に浮かされている時のものようだった。誰かがこの霧を払ってくれぬかと、私はずっと願っていた。

静寂

あれは空気がどこまでもキンと冷たく澄んでいた冬の日だった。その日は昨晩に珍しく晩酌をしていなくて、布団の中でお互いを暖め合いながら日付を超える前に眠ってしまっていた。そして早く目が覚めてしまったのだ。元々長い時間眠るのは僕ら二人とも好きではなかった。だからと言っていつもすることがあったり、いつも話すことがあった訳ではなかった。ただ黙って、一緒にいることが好きだった。

そんなわけでその日はまだ太陽が半分も顔を出していない時間に二人ともすっかり目が覚めてしまった。いつもの僕らであったら僕が珈琲を入れて、彼女はゆるゆると着替えをして髪を整えて、そのあと太陽が完全に冬の空に登り終えるまで珈琲を片手に、もう片方の手にはお互いの指を絡ませてぼんやりと寄り添っていたはずだ。どうでもいいことかも知れないけど、彼女はたとえ一日中用事がなくたって洋服を着替えて髪を整える。「そうしないと何となく落ち着かないのよ」せっかく家に居るんだから気を遣うことはないと僕が言うと彼女はそう答えた。

とにかくその日は違った。布団の中で顔を近づけ朝の挨拶を交わしたあと、彼女は今から海に行こうと言った。彼女は基本穏やかで僕の意見を笑顔で受け入れてくれるタイプだった。夕飯のメニューや、合わせるワイン、観る映画は大抵僕が決めていた。しかしたまに、ごくたまに、突拍子もないことを言う女性でもあった。それがその日だったわけだ。こうなると彼女はなかなか譲らない。それに突拍子もないことだって、たまにはいいかもしれない。彼女の目を見つめているとそんな気分になるのだから不思議だ。僕のダウンジャケットのポケットに、繋いだままの手を入れて2人で歩き始めた。僕らのアパートから海岸までは歩いて10分程の距離なのだ。この住居も数少ない彼女の決断だった。そう考えると僕がいつも彼女を引っ張っていってるように見えて、僕らにとって大事な事は実は彼女によって決められてきているのかもしれない。

とにかく僕らは口数も少なく海にたどり着いた。真冬なだけあって風は驚くほど冷たい。もちろん人は一人もいなくて、聞こえるのは波の音と風の音、彼女が僕と繋いでいない方の手をに息を吹きかけているハーっという音だけ。まるでこの世界に二人きりみたいだ。僕がそう思った時彼女が言った。

「何だかこのまま世界が終わりそうね。」

「怖くなったかい?」

「少しね。」

「少しなんだ?」

「うん、この間借りた映画は1本残っているし、夢みたいに美味しかったワインはボトルに半分もある。ピクルスも一昨日の夜漬けたばかりよ。でもそのくらいかしら、思い残してることと言えば。」

予想外の返事に僕は驚いたあと、ふふっと笑ってしまった。彼女はほんとに美味しいお酒と美味しい食べものには目がないんだ。

「君の世界はお酒と食べ物でできているね。」

それまで海を見つめながら話していた彼女が急に僕を見た。彼女の大きくはないが綺麗な形の目にドキリとする。

「お酒と食べ物と、あなた。それがあれば他に何も要らないでしょう?」

彼女はたまに突拍子も無いことを言う。

 

拝啓 貴方

激務の日々が続く。仕事は思ったように上手くいかないし、身体は毎朝重くなんだか前程よく動かない。「体壊さないようにね」なんて声を色んな人からよくかけられるけど、数ヶ月前から具合が絶好調な日なんてないように思えるから、これからもそんな日が来るとは思えなかった。

もっと上手くやれると思っていた。バイトの時はエースなんて呼ばれて、私が居れば大丈夫だねとか頼られていて、社員になってもそれなりにこなしていけるだろうと高を括っていた。人生そう上手くはいかないらしい。程々にこなして取り繕って上手くやってきた私の人生だから、そのボロが今頃出てきているのかもしれない。負ける気は更々無いけど。

 

そんな日々に希望の光を与えてくれるのが彼の存在で。彼といる時は嫌なこともしんどいことも何とかなるような気がしてくるから不思議だ。本当に久しぶりに心の底から好きだと思える人に出会えたと思う。私のここ1年の恋愛遍歴は結構壮絶だったから、正直もう好きな人なんて出来ないんじゃないかと思っていた。彼のことを好きになれて、そしてまさか恋人同士になれるなんて、数ヶ月前の私が聞いたら「そんな訳ないでしょ」と笑い飛ばされるだろうな。でもそのくらい自然に、本当に自然に彼の事が好きになっていた。マッチングアプリで何となく付き合った人に煙草の銘柄を合わせられた時は鳥肌が立ったのに(ごめんなさい)、彼が同じ銘柄を吸い始めた時は「可愛いヤツめ」なんて思ったし、彼女持ちとはサシで呑まん!という私のポリシーも彼と呑みに行く時は何処かへ飛んで行った(ごめんなさい)。

私が彼を気になり始めた時、彼には付き合っている人がいて。だから希望とか期待とかは最初からあまりしていなかった。恋愛なんてもう出来ないと思っていた私だ。誰かを好きになれただけでも幸せ、良かったじゃん。そう思うことにして、なるべく言動には気を遣った。後から聞いた話だと2回目の呑みの後のカラオケで手を繋いだらしいからアウトなのですが(酔い潰れて覚えていないです、申し訳ございません)。でもせっかくだしな、異動が決まったら気持ちくらいは伝えてもバチは当たらないかな、なんて考えていた年明けの寒い日。彼と飲みに行って予定通りカラオケに行って、予定通り歌い明かして飲み明かして、予定外にカラオケのソファで彼のことを抱き締めていた。そこからはもう引き返せないと思った。好きだと言ってしまった。酔いつぶれていたもんだからその時の彼の言葉は覚えていないのだけど、なんだか嬉しいことを言われたのは抱きしめた彼の温かさを感じながら幸せな気分になった記憶のお陰で覚えている。一部の友人にに大変お叱りを受けましたが、私はこの時彼にならもう遊ばれちゃってもいいやと本気で思っていました。2番目でもいいし、気まぐれでもいい。もうこんなふうに誰かを好きになること無いかもしれない。だったら傍に居たい。そんな気持ちで彼と何度か2人きりで会うようになって数回目のある日、彼から恋人と別れたことを聞かされた。「今ってどういう関係?」と唐突に聞かれた。酔いが一瞬醒めて、声が震えそうになった。聞くのがいちばん怖かったこと、でもいちばん聞きたかったこと。「付き合ってくれる?」私の言葉に彼は頷いてくれたのか抱き締めてくれたのか。正直ここも覚えていなくて(私は肝心な時にいつも酔っ払いだ。)、でもこの日を境に私は彼の恋人になった。死んでもいいと思った。

彼と一緒にいるのは心地よくて、今までは1人でいるのが大好きな私だったけど彼とならいつまででも一緒にいられた。音楽もお酒も煙草も全部波長が合って、合わないところを見つける方が難しい気がした。これから先、もしかしたらすれ違うことがあるかもしれない。でも彼だったら、そんな所も愛おしいと思える気がする。それくらい、大切な存在です。この文章は彼に見せると思うから、伝えられなかった部分を伝えるための大変長くて重めなラブレターとして、届けばいいなと思います。

 

敬具

 

冬。オリオン座。好きな人。

どんなに疲れてても眠くても、毎晩1時間は本を読むことにしている。「働く為に生きるような大人にはなりたくないなぁ」なんて言っていた僕も、大学を卒業して半年たった今、そんな大人になっていた。

それを否定するために、本を読んでいた。朝9時過ぎに出社して、日付を超えてから帰るような生活が続くと出掛けることも出来ないから、読書と音楽ぐらいしか娯楽が思いつかなかった。主に村上春樹を読んで、ビートルズを聴いていた。そうすると自分が少し高尚な人間で、充実した生活を送っている大人のような気がしたけど、毎日コンビニの弁当を食べて1箱は煙草を吸うもんだから、高尚とはなんだろうと常々考える。

相変わらず次の休みにする事は決まっていなかった。恐ろしく友達が少ない僕は、休みの日にポンっと予定ができるようなことはそうそう無い。休みの日数に反比例して業務は増えていたし、昼まで寝てから出社してやろうかななんて絶望的な予定を立ててすらいた。

木曜朝のゴミ収集に向けて水曜の深夜にゴミを出すのが日課だった。灰皿に溜まった煙草の吸殻をゴミ袋に突っ込んで、ゴミ捨て場に放り込んだ。体と瞼が重たい。このまま布団に入れば5分も経たずに寝れるだろう。11月になり、外は冬の匂いがした。この時期の匂いを嗅ぐと僕は人生で唯一、世界の何よりも大事だと思えた彼女のことを思い出す。大学の授業を平気でサボって、彼女に会うために歩いた明け方の事を思い出す。

彼女とは本の趣味も音楽の好みも好きな店の雰囲気も同じだった。デートの度にやたら小洒落た店に連れていかれるもんだから、彼女とは大衆居酒屋やチェーンのファミレスに行く時の方がワクワクした。彼女はいつも僕の食べたいものを聞いてきた。僕が食べたいものを2つ言うと、それを両方頼んで分け合って食べた。それが彼女なりの愛情表現であり、分かっていたから僕も遠慮はしなかった。遠慮しないことが彼女の愛を受け止める方法だった。だから、結局彼女が本当に好きな食べ物は分からずじまいだった。キノコも生ハムもハイネケンもしゃぶしゃぶも、彼女が好きだと思っていたけどよくよく思い返せば全部僕の好きな物だった。

後にも先にもあんなに人を好きになったのは彼女だけだ。他に大切にするべきものは何一つないと心の底から信じていたくらいに彼女が好きだった。それは幸せなだけじゃなかったし痛みを伴うこともある感情だったけど、今となってはあの時の自分が眩しいくらいに思える。

彼女が風邪を引けば片道1000円の交通費も睡眠時間も惜しまず毎日看病に行った。彼女の休みに合わせて講義をサボって会いに行った。彼女と潜ったベッドの中で教授に「具合が悪いので休みます」なんてメールを息をするように送った。そうして欲しいなんて1度も言われなかったし見返りも要らなかった。当たり前のことであるように感じていた。

彼女と別れて1年が経とうとしている社会人1年目の冬。今はもう会いたいとか好きとかは思わないけど、あの時の感情は尊いと感じる。あのくらい、何もかも投げ出して誰かを愛したいと思える日が来ることはもう無いんじゃないかなと思う。

今夜も布団の中で、タバコを吸いながら黙々と本を読んでいる。今日も物語の中では誰かが誰かを愛したり憎んだり、別れたり悲しんだりしている。僕が喪ってしまった感情を、本を読めば思い出せる気がしてひたすらにページを捲った。ノルウェイの森の中で、緑という女性が愛について語る印象的なシーンがあって、僕はそれが大好きだ。

"

「私が求めているのは単なるわがままな の。完璧なわがまま。たとえば今私があなたに向って苺のショート・ケーキが食べたいって言うわね、するとあなたは何もかも放りだして走ってそれを買いに行くのよ。そしてはあはあ言いな がら帰ってきて『はいミドリ、苺のショート・ケーキだよ』ってさしだすでしょ、すると私は 『ふん、こんなのもう食べたくなくなっちゃったわよ』って言ってそれを窓からぽいと放り投げ るの。私が求めているのはそういうものなの」
「そんなの愛とは何の関係もないような気がするけどな」と僕はいささか愕然として言った。
「あるわよ。あなたが知らないだけよ」と緑は言った。「女の子にはね、そういうのがものすご く大切なときがあるのよ」
「苺のショート・ケーキを窓から放り投げることが?」
「そうよ。私は相手の男の人にこう言ってほしいのよ。『わかったよ、ミドリ。僕がわるかった。 君が苺のショート・ケーキを食べたくなくなることくらい推察するべきだった。僕はロバのウンコみたいに馬鹿で無神経だった。おわびにもう一度何かべつのものを買いに行ってきてあげよう。何がいい? チョコレート・ムース、それともチーズ・ケーキ?』
「するとどうなる?」
「私、そうしてもらったぶんきちんと相手を愛するの」
「ずいぶん理不尽な話みたいに思えるけどな」
「でも私にとってそれが愛なのよ。誰も理解してくれないけれど」

"

いささか我儘だし、読む人が読めば苛立ちさえるすかもしれない。でも僕は苛立ちという感情は愛に似てると思う。人を愛するってことは、痛みや苛立ちを伴う。理解してくれない相手に対しても、そんな感情を抱く自分に対してもだ。その苛立ちも、今の僕には愛おしい。誰かを愛して、傷ついて、怒って悲しんで。そんな感情が欲しいと心底願っている。

洗濯機が音を立てて止まった。明日の仕事に行くための服を、干さなければいけない。溜息をつきながら身体を起こし、ビートルズのプレイリストを再生しながら洗濯物を干す。こんな僕が生きていくためにも手間がかかる。どうせお金も時間もかかるなら、僕だけの為じゃなくて好きな人の為に使いたい。周りが見えないほど彼女を愛して、彼女の為に僕を擦切れるまで使いたいと思ったあの頃のように。

牛ほほ肉の赤ワイン煮込み〜人参とマンゴーのソース〜

時折、「私は何故ここに居るのだろう?」と考える。ここというのは、具体的な場所の事では無く、大きな言葉で言えば社会、世界、この世の事だ。何故私はこの世界で生きているのだろう。何のために?それはふとした瞬間。ある時は自転車を漕いでいるし、ある時は改札を出ている、またある時は一心不乱に頭を洗っている。そして考え始めると止まらなくなる。止まらないのに一向に答えは出ない。後々思い返すと何とも無駄な時間だ。答えは出ないし考えたところで仕方がないのだから。

しかし簡単に答えが出る瞬間がある。美味しいものを食べている時!なんとも単純!

会社の研修帰り、私は1人で上野の街をブラブラしていた。ここ1ヶ月ほどは特に憂鬱な日々が続いていて、人間なんか嫌いだい。とか思ったり、漠然とした不安が胸の内を渦巻いていた。思いっ切り歌ってやる、と思ってカラオケに入った。歌う前は素晴らしい案のように思えてウキウキしていたのに、1時間もしないうちにまた憂鬱がやってきた。やる気なく歌う私のあの姿を、曲を作った者たちに見られたら怒られそうだ。

「2時間で!」と意気揚々と言ったにもかかわらず1時間で店を出た。本でも読みながら美味しいお酒とおつまみ…と漠然としたイメージを思い浮かべつつアメ横をぼーっと歩き回る。JR上野駅を出た道路の向かい側で、小洒落たレストランを発見した。美味しいワインとロティサリーチキンが名物!と書いてある。価格帯は目を見張るほどでは無いがそこそこ高い。暫くメニューの前をウロウロしたが、意を決して入ることにした。たまにはよかろう。

17時前という時間のせいもあって、店内は落ち着いている。淡いブルーのシャツに黒のスキニー、白いサロンエプロンを巻いた男性店員が、窓際の席に案内してくれる。まずモスコミュールを注文し、レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」の続きを読み始めた。村上春樹が訳すとそれは村上春樹の作品になる。本人的には不本意だろうが、私はそういうところが結構好きだったりする。ロング・グッドバイは特にそうだ。むしろ元から村上春樹の本なのでは?とも思う。チャンドラーさん、すみません。でも面白く読ませてもらっています。

モスコミュールが来た。店員にお礼を言って1口目。カラオケで疲れた喉には嬉しい1杯だ。自分のチョイスに自画自賛、満足しながら読書を続けていると、注文した揚げカリフラワーのアンチョビソースが届く。なぜか鰹節の味がしたが、香ばしく酒のあてにはぴったり。お酒はどんどん進み、次に白桃のスパークリングワインを飲んだ。ひたすら甘いのだと思っていたが桃のほろ苦さまで感じられて想像以上の美味しさだった。気に入ってもう一杯。そろそろメイン料理を…と思いメニューをじっくりと眺める。悩んだ末に赤ワインと、牛ほほ肉のワイン煮込みを注文した。牛肉には赤ワイン!少ないお酒の知識を絞り出して生み出した結論である。(誰でも知っていることではあるが。)

たっぷりと時間をかけて、料理が運ばれてきた。料理と一緒に、と頼んでいたので同じタイミングで赤ワインも到着する。マッシュポテトが添えられた、普通の牛肉のワイン煮込みのように見える。しかしナイフを入れると、毛糸玉のように肉が解けた。私の胸は高鳴る。これは美味しいに違いない。一口食べて確信に変わる、ワインを続けて飲む。思わず、「幸せ…」と声に出して呟いた。隣のテーブルにはカップルがいる。もしかしたら聞こえていたかもしれない。スーツ姿の女が1人で牛肉と赤ワインを前に幸せをかみ締めている姿は、カップルからすればさぞかし滑稽だっただろう。いいさ、笑えばいい。でもこのワイン煮を食べたら私の気持ちが分かるはずだ。今私は、この瞬間の為に生きてきたのだと本気でそう思っている。人間にはこうやってじっくり美味しいものと向き合う時間が必要なのだ。私は美味しい赤ワインを飲みながら美味しい肉を食べるためにこの世界に存在している。素晴らしい結論のように思えた。

店を出てからも高揚はおさまらなかった。帰り道にそのまま、金曜日のゴッホ展のチケットを予約した。昼前に起きて、東京都美術館ゴッホの作品を見て、またあの店で食事をしよう。今度は名物のロティサリーチキンとやらを食べてやろう。ワインは白かな。お腹を空かせていかなきゃ。

しつこい様だが、私は美味しいものを食べるためにこの世に生まれてきた。これだけは誰にも否定し得ないのである。

執心2

「今日はどうしますか」

 

美容院で椅子に案内され、鏡の前で尋ねられる。ミルクティーアッシュの髪を高い位置でお団子にしたまつ毛の長い美容師。何故美容師とはいう人種は揃いも揃って学生時代にはスクールカースト上位でした、みたいな雰囲気が出ているのか。ひっそりとした学生生活を送ってきた私は美容師と話す時いつも緊張する。

 

「以前ウルフカットにした時のこの短いやつ。これと同じ長さにしてください。」

 

変なこと言ってないよな、なんて変にビクビクしながらオーダーをする。彼女はにっこり笑って私の注文通りに髪を切っていく。

 

「結構バッサリいくんですね。」

 

失恋ですか?なんて続きそうだなぁと思った私はなんだか古い考えの人間みたいだ。今どき失恋で髪を切る女性なんて居ないのかな。でも、長く伸ばし続けていた髪を切ろうと思ったのは執心を断ち切るためでもあった。

 

「ロングヘアの方が好き」

 

と言った彼の言葉を意識して傷んだ髪を切らなかったのは紛れもなく執着。切られて落ちる髪の毛を見ているのが、私には心地よかった。自分では絶対出来ない風に巻いてくれた新しい髪型にウキウキしながら、店を出て近くのドトールでアイスコーヒーを飲みながら煙草を吸った。マルボロのブラックメンソールは、彼が1度吸っているのを目にして何となく吸い出した銘柄だったが、今では私の常喫煙草だ。こればっかりは変えられないよな、好みだもの。

 

家に帰って簡単に夕食を作った。ベビーリーフの上にねぎ塩で炒めた豚バラ肉を乗っけたズボラメニューに、青ねぎと豆腐の味噌汁。

 

「んん、うまい。」

 

誰もいない部屋で零れる自分の声に、少しの寂しさと同時に誇らしさを感じた。私は1人でも私の機嫌を取ってあげられる。貴方は違うでしょう。今日買ってきた香水を眺めながら、そんなことを考えた。今夜は電話をする予定が入っている。マッチングアプリで知り合った会ったこともない人。来週その人とデートをする。貴方が好きじゃない短い髪で、新しい香水をつけて、新しい服を着て。

 

「ってこんな事考えるなんて、私もまだまだですなあ。」

 

そう呟いて深く吸い込んだ煙草の煙を吐いた。