帰宅してシャワーを浴び、濡れた髪のまま玄関前で煙草を吸う。風が生ぬるく、心地いい。カポーティの「ティファニーで朝食を」を読みながらぼんやり煙をくゆらせているとアパートの階段を上る音がする。
「お疲れ様」
「ん、お疲れ、荷物部屋に入れれば」
「いい。このまま吸う」
彼は荷物を地面に放り投げて、煙草に火をつける。パーラメント。1度吸ったけど肺に重みがのしかかるような吸い心地で私には合わなかった。そういう時、彼とは趣味合わんよなぁと思ったりする。
「疲れた。今日しんどかった」
「そっか、お疲れ様。ま、酒でも飲もうぜ。冷蔵庫で冷やしてるよ」
「何買っといてくれたの」
「いつも通り」
冷蔵庫から缶ビールを2本、取り出して1本を彼の前に置く。スーツから部屋着になった彼は溜息をつきながらビールを開ける。お互い疲れていて掲げる元気もないのでテーブルの上で滑らせてそのまま乾杯する。つまみにはプリングルスのサワークリームオニオン。2人揃ってポテトチップスならこれ一択だ。基本的に食べ物の趣味は合う。
「人生楽しいでしょ」
「なんか嫌な言い方だなぁ。仕事は楽しいよ。みんないい人だし、やりたいことはやらせてもらえるし。でもプライベートは別に。」
誰かさんのせいでね、と付け加えたくなるが大人気ないのでやめておく。彼はまた溜息をつく。
「俺は仕事もプライベートも駄目だ」
だろうね。心の中で返事をする。私も溜息をつく。空気が重い。10時間勤務が続いた身体にこの空気は重すぎる。彼が沈黙を破る。
「明日予定あるの」
「なんも。あ、そうだ。天ぷらでも食べに行こうよ」
「天ぷら?」
「うん、前行った時美味しかったんよ。一人暮らしだとやる気にならんやん、揚げ物」
「たしかになぁ」
「ちゃんとしたご飯食べよ。昨日からパンしか食べてないんだ」
「せやなぁ」
その後は他愛もない話が続く。ほとんどが彼の仕事の愚痴で、私はひたすら相槌をうつ。2時頃になって2人とも限界が来た。先に私が布団に入る。
「寝ようよ」
「うん、寝るよ」
一緒に布団入るのも嫌になっちゃったのか。そう思って毛布にくるまってるとしばらくして彼も布団に入ってきた。また溜息。
「しんどいの」
「うん」
なんとなく手を伸ばして彼の頭を撫でる。直毛でサラサラしてて、付き合っている時からその髪の毛が好きだった。
「なに」
「んーん、頑張ってるなぁと思って」
「頑張ってはいるよ、でも何もうまくいかん」
「うん、でも一生それが続くわけじゃないよ」
「それはそうだけど」
私と縁を切れば、貴方の悩みは1つ減るよ。私の悩みもね。それを言ったら終わる気がして、また飲み込む。飲み込んでばかりだ。しばらくして隣から寝息が聞こえてくる。お酒を飲んだせいか少し早めの呼吸。それを聞きながら私も目を閉じた。
目が覚めたら昼だった。手元のスマホでは11:52。私がモゾモゾと動いたせいで彼も起きる。
「よく寝た」
「寝すぎたね、昼だよ、12時」
しばらく会話もなく、布団に入ったまま2人とも目を閉じる。寝る訳では無いけど目を閉じている時間が何よりも心地良かった。何も考えたくないからこのまま、寝ていたい。寝て時間が経っていたらそれほど楽なことは無い。
彼がふと自分のスマホを確認する。すぐに起き上がって
「ちょっと1本電話」
そう言って部屋を出ていった。なんとなく想像はついた。多分天ぷらには行けない。私はまた2番目になる。でも私の中でも彼を1番にはしてあげない。待っててって言われてもほんとに好きなのは君だと言われても、信じてあげない。彼も私を信じていない。この部屋にあるのはそんな歪な関係だ。
彼が部屋に戻ってくる音がした。私は目を閉じる。