闇と聞いて何を思い浮かべますか。

お久しぶりです。辞めた訳ではありませんでした。ただ何となく何も考えず健康に(?)生きていたので文章を書く脳になっていなくて何も書けずにいました。書きたい気持ちはあったんだけどね。そういう時、私にはやっぱり文章を書く才能というものは無いんだろうなぁと思ったりもします。

久しぶりに書こうと思ったのは、また自分の中で色々ごちゃごちゃしてきたからです。内定式があって、卒論に本腰を入れ始め、本格的に先のことを考えなければいけなくなりました。将来自分はどうなりたいの、そこで関わる人々、お金、計画性…。全部知りませんと匙を投げたくなっています。今この瞬間で精一杯です。でも、やりたくないことを投げ出す勇気は無いので、やらなければいけない。しんどいなぁ、死んじゃえたらなぁ、と深夜にぬるま湯に浸かりながら考えることがまた増えてきました。弱いね、まったく。

3年くらいで死にたいなぁと思っています。自分の人生もサブスクにしたいよね。とりあえず1年。あ、まだ続けたいなと思ったらまた1年。生きたい人は多めに確保しといてその分は絶対保証される、みたいな。もしあと3年で死ぬことが分かっているなら、やりたくないことなんか全部投げ出して逃げ出す勇気が出るはずです。やりたいこと全部やろうとする勇気が持てるはず。北欧に行ってカフェを開きたいです。大好きなドライフラワーと黒とアンティークに囲まれて。

こんなことを言ったら不謹慎だとか怒られそうだけど、「死にたい」という気持ちは私は悪いものではないと思っています。自分がいつかは必ず死ぬことが分かっているというのは、希望だと思っています。だって一生生き続けるなんて苦痛でしょう。嫌だよ、一生何かを背負わなきゃいけないなんて。死に希望を見出す人間がいたっておかしい事ではない。それなのに、「死にたい」って言ったら何となく疎まれますよね。何でですかね。「生きたい」は尊ばれるのに。

なんて話が脱線した上に、色んな人がもう言ってそうな言葉を並べてみてしまいました。とりあえず、全部やめたいなぁという気持ちでいっぱいです。自分を大切にしたいのに、大切にするためにはその自分を痛めつけながら生きていかないといけないんですね。皆よくやってるなぁ。でも人間はやろうと思えば死ぬことだってできるんだよね。それだけが今は私の希望です。

死を想像した時、私の中にはいつも海がある。冬の海。その時はいつも深い霧の中に1人で、心臓がギュッとなる寂しさがあって、でもそれが何だか愛おしいような感覚です。久しぶりの投稿な上にズブズブでごめんなさい。おやすみ。